チルミキール条約:オスマン帝国の衰退と西欧列強の台頭、近代トルコへの道を開く転換点

 チルミキール条約:オスマン帝国の衰退と西欧列強の台頭、近代トルコへの道を開く転換点

16世紀から17世紀にかけて、オスマン帝国はヨーロッパ・アジア・アフリカに広がる巨大な勢力でした。しかし、18世紀に入ると、帝国は内部的な対立や経済的困窮に悩まされ始め、衰退の兆候が見え始めました。西欧列強は、この状況を目の当たりにして、オスマン帝国の影響力を削ぎ、自らの利益を追求する動きを見せ始めました。

そして、1839年、オスマン帝国のスルタン・マフムード2世は、イギリスとフランスの軍隊が包囲したために、苦渋の選択を迫られることになります。ロシア帝国との戦争で敗北し、ロシアの影響力拡大を許してしまったオスマン帝国は、西欧列強からの圧力によって、不平等条約を結ぶことを余儀なくされたのです。これが「チルミキール条約」であり、オスマン帝国の衰退と西欧列強の台頭を象徴する出来事と言えるでしょう。

チルミキール条約とその背景

チルミキール条約は、1839年7月4日にイギリス、フランス、ロシアの代表とオスマン帝国のスルタン・マフムード2世の間で結ばれました。この条約は、第一次エジプト・トルコ戦争の終結を意味し、オスマン帝国は敗北を認め、ヨーロッパ列強に多大な譲歩を強いられました。

条約の内容は、以下のようにまとめられます。

  • オスマン帝国は、イギリス、フランス、ロシアに「最恵国待遇」を適用する義務を負いました。これは、これらの国の商人がオスマン帝国内で自由に貿易を行い、関税も優遇されることを意味します。
  • オスマン帝国は、ギリシャの独立を承認しました。これは、1821年から続いたギリシャ独立戦争に終止符を打ち、ギリシャが独立国家として認められることを意味します。
  • オスマン帝国は、ダニエル・ウェブスター率いるアメリカ合衆国が提案した「トルコへの開港」計画を拒否しました。この計画は、オスマン帝国の貿易を活性化させ、近代化する目的で提案されましたが、スルタン・マフムード2世は、外国の影響力を恐れてこれを拒否しました。
  • オスマン帝国は、エジプトへの領土割譲を余儀なくされました。これは、エジプトがオスマン帝国から事実上独立し、イギリスの保護国となることを意味します。

チルミキール条約の影響

チルミキール条約は、オスマン帝国にとって大きな衝撃をもたらしました。この条約によって、オスマン帝国は経済的・政治的に衰退し、西欧列強の影響下に置かれることになります。 さらに、ギリシャの独立により、オスマン帝国はヨーロッパにおける勢力を失い始めます。

一方、西欧列強にとって、チルミキール条約は大きな勝利となりました。この条約によって、西欧列強はオスマン帝国の市場に自由に出入りできるようになり、また、地中海地域の支配権を強化することができました。 しかし、チルミキール条約がもたらした影響は、単なる軍事的な勝利だけではありませんでした。

この条約は、オスマン帝国が近代化に向けて進むための転換点ともなりました。チルミキール条約によって、オスマン帝国は自らの弱点を認識し、西欧列強の技術や制度を導入する必要性を感じ始めるようになりました。 これが、後にタンジマート改革と呼ばれる、近代化を目指す一連の政策につながっていくのです。

ジョシュ・イブラム・パシャとチルミキール条約

オスマン帝国がチルミキール条約を結ぶことを余儀なくされた背景には、当時の軍事力に長けた人物「ジョシュ・イブラム・パシャ」の存在がありました。彼は、スルタン・マフムード2世の時代には軍人で政治家として活躍し、エジプトの総督も務めました。

ジョシュ・イブラム・パシャは、近代化を推し進めるため、オスマン帝国の軍隊を強化しようと試みましたが、その努力は成果に結びつきませんでした。ロシアとの戦争で敗北し、西欧列強との交渉にも失敗した彼は、最終的にチルミキール条約を結ぶことを決定しました。

ジョシュ・イブラム・パシャの功績と過ち

ジョシュ・イブラム・パシャは、オスマン帝国の近代化に尽力した人物として知られています。しかし、彼の軍事戦略や政治判断には、多くの失敗もありました。 彼は、ロシアとの戦争で敗北し、チルミキール条約を結ぶことによって、オスマン帝国の衰退を加速させてしまったのです。

歴史家は、ジョシュ・イブラム・パシャの功績と過ちについて、様々な評価をしています。彼の努力が、最終的にオスマン帝国の近代化に繋がったという意見もありますが、彼の軍事的な失敗や政治的判断は、オスマン帝国の衰退を招いたという批判もあります。

チルミキール条約は、オスマン帝国の歴史において重要な転換点でした。 この条約によって、オスマン帝国は西欧列強の影響下に入り、近代化に向けて進むことを余儀なくされました。ジョシュ・イブラム・パシャのような人物の努力が、オスマン帝国の衰退を加速させたという批判もありますが、彼の功績は忘れてはいけないでしょう。

チルミキール条約の主要な条項 内容
最恵国待遇 イギリス、フランス、ロシアの商人がオスマン帝国内で自由に貿易を行う権利を獲得
ギリシャ独立承認 オスマン帝国はギリシャの独立を認め、その領土を割譲
エジプトへの領土割譲 オスマン帝国はエジプトの一部をイギリスに割譲し、事実上エジプトがイギリスの保護国となる

チルミキール条約は、オスマン帝国が近代化に向けて進むための困難な道のりを象徴しています。この条約は、オスマン帝国の衰退を加速させたという批判もありますが、同時に、オスマン帝国が変化を求め、西欧列強から学ぶ必要性を感じ始めたことを示す重要な出来事でもありました。